ANDANTE

歩くようなはやさで、すきなきもちをのこしておきたい場所

自担がフルマラソンに出場したこと

出場決定のニュースを見た時、まず不安がよぎりました。

ステージに立つ濱田くんを見ているかぎり、濱田くんは持久力のある人ではない。
瞬発力には長けているけれど、すぐに息があがるし身体を痛める。

極め付けに最長4kmしか走ったことがないとの情報。
4kmであれば、マラソンと無縁な私と同レベルの域だし、学生時代のマラソン大会レベルだ。


いやいや、本当に大丈夫なのか・・・?

 

家族にしろ友達にしろ、マラソン好きという人が周りにいないため、20数年生きていて、まさかマラソンの応援をする日がくるなんて思いもしませんでした。


当日はあっという間にやってきました。

2015年10月25日。 生まれてはじめてマラソンの応援に行きました。

最初に私が濱田くんに声援をおくった御堂筋。
人が多すぎてそもそも見つけられるのか?という不安に陥りましたが、
無事に見つけることができ、まずは安堵。
メンバー内先頭の中間くんと大きな差もなく良いペースで走っていた濱田くん。
ですが、折り返してきた時の姿はかなりしんどそうでした。
その後待っていた地点からは、私の見る限りずっと曲がらない膝を引きずりながら歩いていました。


ただ、しんどそうなのは足だけでそれ以外はいつもの濱田くんだった。
もちろんしんどいに決まっているのだけど、それを見せない。


それが、濱田くんの強さ。


声援に答え、沿道の演奏に拍手をし、ファンでない方に声をかけられれば
ジャニーズWESTの濱田です!と自己紹介をしながら
濱田くんを見に来たわけではない沿道の人をも虜に、味方にしていく姿。


こんなときにも、こんなときだからこそ、滲み出る本当の人柄が、変わらない笑顔がずるい。


ボロボロの足を引きずる姿、正直歩いているだけでも痛々しくて、
変わってあげられるなら変わってあげたいとさえ思うくらいだった。

 

そんな状態なのに、声をかけたらしっかり頷いてくれたり、
目を見て「ありがとう」と返してくれたり、
ガッツポーズで応えてくれた濱田くんに、どれだけこちらが救われたか。
本気でどちらが応援しにきたのだろうという錯覚に陥りました。


誰からの声援にも積極的に応えていたし、常に自分より周りを意識していたことが強烈に印象に残っています。

 

42.195kmという過酷なマラソンに参加しながらもなお、濱田くんは濱田くんでした。


最後、私は南港大橋手前で濱田くんを見送ってからゴール付近へ移動しました。
時間内に完走できるのかという不安もよぎりながら、
自分が待つ場所に濱田くんがやってくることを祈ることしかできませんでした。


42km地点の最後のコーナーを曲がってゴール前に姿を見せた濱田くんは、走っていました。
気力だけで、一生懸命走っていました。

 

決してマラソン選手のように颯爽と美しいフォームで駆け抜けていくわけではない。
それでも、序盤からずっと歩いていたのにもう走ることは無理だろうと思っていたし、
ただもう時間に間に合いさえすれば良い、完走が果たせれば十分だと思っていた。

 

そう思っていた中、確実にファンの人だけが出しているのではないくらいの大歓声に包まれ、
走ってそこに現れた濱田くんは、ヒーローでした。

 

最高にかっこいい自担を見た瞬間、それはもう泣けて仕方なかったです。

 

濱田くんは、私の心を動かす人。
応援しているはずが、いつもこちらがもらってばかりで救ってくれる。

ずっとそういう人。そんな濱田くんだから私はその魅力に惚れたのです。


FINISHゲートに向かう背中を見ていると、
1つの大きなドラマが終わるような感覚に陥りました。

 

マラソンを走った3人、応援に駆けつけた4人。
7人7様の大阪マラソンには、想像以上のドラマがあったと思います。
中間くんも神山くんも、本当にそれぞれ一生懸命な姿が伝わってきました。
とはいえ、あまり2人の様子は知らないので、育ジャニのOAを楽しみにしています。


「濱田くんと共に大阪マラソンを駆け抜けました!」とか
まさかそんな大それた、かっこいいことは言えやしないのですが、
この日は約2万歩を歩き、1日地下鉄乗り放題カードには11駅もの乗り降り記録が残りました。
今も筋肉痛と共にこの記事を書いています。
少なからず身体の痛みを味わっていることで、比べ物にならない彼らの苦労を更に痛感することにもなりました。


自分の声援が、長い長い42.195kmの中の1mでも1歩でも
濱田くんの足を進める力になれたのであれば幸せです。


フルマラソンという形でまた新しい景色を見せてくれた濱田くんに心から感謝します。
本当に、お疲れ様でした。ありがとう。